where the light is

twice as much ain't twice as good

ネクラとネアカ

・一緒にサッカーや野球をする友達がいる奴がネアカ、いない奴がネクラ。そんなことを思ったのは、やっぱり世の中のおじさん達は球技をどうのこうの言うのが好きだなあと言うところから。 ・私はと言うと、観戦していてもボールがあっちに行ったりこっちに行ったりするのを目で追うだけになってしまう(ルールは知ってる)。どちらを応援するとか、好きな選手がいるとか、得点した時に自分ごとのように喜ぶとか、戦術や采配を批判するとか、そういう楽しみ方ができない。 ・たぶん、音楽を聴いて楽しむことができない人にとってのカラオケやコンサートと、きっと同じようなもんなんだろうなあ。ストーリーを追ったり、登場人物に共感したり、表現の技巧を楽しんだりできない人にとっての、ドラマや映画と同じようなものなんだろう。そう思って納得する。 ・同じ日本人であったとしても、クラスタによって文化や常識、良いとされることが全く違う。グロービスに通うような人であってもそうなのだから、ましてそのへんで歩いてる人と、共通認識が持てない、話が通じないなんて当たり前だなあ。クソリプも発生するわけだ、と納得する。 ・私はどうやら頑張っている方で、それでもさらに高みを目指しているらしい。自分に厳しいというか、好奇心旺盛というか。そんなことは他人と比較することではないのだけど、ちゃんと自己認識を意識を持っとかなきゃいけないのだ。余計な自己否定をすることは避けなければならない。 ・朝からジムで走って、その足でグロービスに行き、一次会に参加して帰ってきた。 ・走るときに音楽を聴くのだけど、スマートウォッチ(4GBまで音楽や画像を保存できる)からイヤホンに飛ばして聴く方が良い。走るときはスマホがない方がいいな。昨日も時計とイヤホンだけで外を走ってきたけど、身軽でとてもいい。 ・よく走っているので、足がカチカチになってきた。気分も健やかになってきていて、やっぱり食事、運動、頭を使うこと、のメリハリが健康な身体と精神の運用には不可欠なんだなあ。あと、ここ三日カフェインを断っているのもでかい。 ・なんだかイライラ、ムシャクシャするとき、こういう解決を覚えておこう。 以下、ちょっとした覚書 ・グロービスのグループワークのときに、止まりかけていた議論を「こういう考え方の前提を置いたら、こう考えられるんじゃないですか(もっと曖昧な言葉を使っていた気がする)」と言って、ホワイトボードに書いて先に進めた。 ・周りからは無理に進めたように見えたかもしれないし、チームの人が戸惑った顔をしていた気がしたので、「わけわからんこと言うなよ」「こいつイキりやがって」と思われてるのかなあ、と不安になっていた。新卒入社当初、同期とやるプロジェクトでも似たような戸惑いを感じたことがあって、結果としてチームをまとめきれなかったので(自分にリーダーに必要な、ある程度の強引さが足りなかった)、敏感に察知してしまっていた。 ・講義が終わった後や懇親会への道すがら、「ああいう整理の仕方があるなんて新しい発見でした!」とか「議論を先に進めてくれてありがとうございました!」とか、他のチームの人から「すごくまとまってましたね!」とかそんな言葉をかけられて、うーん、捉え方しだいなんだなあ、と思った。 ・正直、発表したことは論理的にも穴だらけだったんだけど、そういうふうに見える人もいるのか、と感じた。人に対して違和感を覚えたとき、それをプラスと感じるか、マイナスと感じるかは、話の内容そのものではなくて、例えば話者のイメージであったり、その後のチームメイトとの会話であったり、そんなことによって大きく変わってしまうのではないだろうか。 ・自信を持って、それっぽい発信をすることが大事で、思考のステップやテクニックは二の次なんじゃないだろうか、なんて根も葉もないことを考えてしまう。5年ぐらい前にも似たようなことを思って、ファストアンドスローとか、影響力の武器とか読み漁ったなあ。