where the light is

twice as much ain't twice as good

所得による文化資本格差

・ただのポエム。

・大学時代は完全に友人がいなかったので、あまり感じなかったのだけど、今になって周りに大手企業の社長以下役員クラスの子弟がやたら多いということに気づく。役員でなくとも、部長だとか階級的に高い地位にいる方が多い。よく考えてみると、偏差値70オーバーだった私の高校て、そういった話をよく聞く(実際友人にも個人事業主であったり外資系日本法人社長であったり、そういった出自の人が何人もいる)。

・所得格差による文化的資本の差というのは、たしかにある。幼い頃から海外に連れていかれるのが日常とまではいかないが、教養ある両親の背中を見て育つということ自体が、ある種の(庶民から見ればというレベルであるが)帝王学のようなものを教えることになっているのかも。物事に対するこだわり、特に文化資本への傾倒は、平穏無事に暮らすことができる者の特権なのかなあ、とぼんやり考えていた。なんだか育てられた価値観が全然違うなあ、と思ってしまうのである。

・起業した人の話を聞くと、親が起業家で、とか。海外に進学した人の話を聞くと、親が単身赴任で向こうにいて、とか。そこまでいかなくても、親父が東京都の戸籍をどうのこうのとか、警察の偉い人でどうのこうのとか。なんだか、育てられた環境が違うので、たぶん世界そのもの、生きるということに対する考え方がまるで違っている気がする(同じ人なんていないのだけど、そういう意味ではなく「まるで」違うのだと感じる)。

・よく遺伝子か環境か、という話があるけれど、どちらも子弟の世界観を広げる方向に働いているのかもしれない、と思った。よく世界の解像度って比喩を出すけれど、世界の解像度を広げに広げるような育てられ方をしたなら、それはそれは広い物事の考え方ができるでしょう。そこに必要なのは文化的資本、金銭的余裕なのかなあ。

・自分がそういう環境下で育たなかったことに嫉妬しても仕方ないし、私が幸せだと思う道に進めばいいのだけど、あまりに自分の周りの人たちの家族がハイクラスすぎて萎縮してしまう。

・中高の間に自由になるお金があまりに多かったことに驚きを隠せない。進学校で部活をしていてバイトができなかったのもあるけど、それにしても食堂の唐揚げも高く感じていたし、友達と映画とかも全然いかなかったよなあ、と思ったり。買おうと思えば買えたのだけど、ひたすらお金がないと言われていたし、勿体ない気持ちが強かった。

・大学の時もカンシタ食堂の390円の麻婆丼が高いなあ、と思って家からお弁当を持っていったし、コンビニの買い食いも勿体ないなあと思って、お腹がすいたら家に帰ってたし、そりゃあ友達もできないわな、と今になって思う。